小保方さんとは何者だったのか? 「著書」から振り返るSTAP騒動

期待を大きく超えた『あの日』

つまらない本とイヤな本は異なる。つまらない本は読まないに限る。でも、イヤな本は面白い。意見や好みが合わなくても、個性全開の熱い主張は嫌いじゃない。というか、わりと好き。人と人の世についての理解が深まる。イヤよイヤよもスキのうち。意図的にイヤな本を読む。私的専門用語でいう「特殊読書」だ。
小保方晴子『あの日』。魔がさして(というか、特殊読書家の嗅覚が作動して)数年前のベストセラーを遅ればせながら読んだ。期待に違わぬ、というか期待を大きく超える特殊読書体験を堪能した。
研究者を志した動機から米国への留学、STAP細胞の論文発表と反響、その後の大騒動、論文撤回を経て博士号の剥奪に至るまでが高濃度の肉声で綴られている。
当然のことながら徹頭徹尾小保方氏の視点で書かれている。夢を追って研究に明け暮れていた世間知らずの若い研究者が想像をはるかに超える論文への反響におののき、欲深い大人にいいように利用され、挙げ句の果てに詰め腹を切らされる。スポットライトは終始悲劇の主人公を追いかける。饒舌で淀みなさすぎる文章でひたすら憐憫と同情を誘う。実にエグい。
STAP細胞事件が世間をワンワンいわせていた当時は新聞報道でちらちらと読むだけだった。文脈を知らなくては片手落ちと毎日新聞の科学記者によるルポ、『捏造の科学者』をあわてて読む。ことの詳細と時間的な流れがまとめられている。
この騒動の面白さは、小保方氏という強烈な主役の存在のみならず、「群像劇」になっていることにある。論文発表後の全国民的賞賛とメディアの報道の過熱。問題発覚後の手のひら返し。渦巻く利害の中での関係者の右往左往。僕の大好物の映画『仁義なき戦い』、最近でいえば北野武監督の『アウトレイジ』を彷彿とさせる。
事件を報道するメディア(東映実録任侠映画でいえば警察側)も実にイヤらしくてイイ。「リケジョの星」とさんざん煽っておきながら、一転して捏造を指弾し、原因究明を迫り、社会正義を声高に叫ぶ。その裏で特ダネを抜くことに汲々とする。その姿は業績と名声に向けて突っ走る取材対象と大差ない。
ついに自殺者が出ると、自分たちでさんざん追い込んでいたくせに、「悔しいね。本当に悔しい」と呟いたりする。『捏造の科学者』のこのくだりは新聞記者のイヤらしさ全開。特殊読書としてひときわ味わい深い。
ただし、である。本件は『アウトレイジ』系のドロドロと大きく異なる点が一つある。「全員悪人」どころか、登場人物が「全員善人」(小保方氏も主観的にはこれに含まれる)。何せ自然法則の探究と解明に身を捧げる科学者なのである。もとより悪人であるはずもない。聡明で誠実で善良な人々が泥仕合を繰り広げる悲劇。人間社会の不思議な本質が浮き彫りになる。

底が抜けた「強さ」

これだけ多くの人や組織がかかわる事件。小保方氏だけが悪いわけはない。調子に乗った理研の大人衆もどうかしていたし、中には保身の立ち回りをした人もいるだろう。
それにしても理解しがたいのは、世界的な研究業績と明晰な頭脳を持った科学者たちが、次から次へと軒並み小保方氏にコロリと参ったのはなぜか、ということだ。いくら彼女の研究テーマと中身がセンセーショナルだったにせよ、海千山千のベテラン研究者が、理研でもハーバードでも、瞬く間に小保方氏にのめり込んでいく。
『小保方晴子日記』を読んで謎が氷解した(気がした)。理研退職からの650日にわたる「孤独な闘いの記録」を本人が日記形式で生々しく綴る。これが輪をかけて面白い。現代の奇書といってよい。
逃避行に追い込まれ、精神を病み、拒食と過食を繰り返す。眠ることもできず、ただ泣き続ける日々。傍から見ればとんでもない逆境だ。「1分1秒も休まることなく、感情の濁流の中をもがき続けている」「火あぶりと水責めに交互に処せられているかのよう」「明日が来るなら、もう死んでしまいたい」―。
最初はさすがに読んでいて苦しくなったが、途中ではたと気づいた。「無間地獄」の渦中にあっても、小保方氏は客観的に自分を見つめている。ほぼ毎日、長文の日記を淡々と書いている。わりと元気でしっかりしているのである。修辞に凝った文章は確かに上手い。「詩人は泣きながら詩は書かない」というが、それにしても強靭な精神としかいいようがない。
要するに小保方氏は桁外れに「強い」のである。強さの底が抜けている。どんな逆境でも希望を捨てず、夢に向かって邁進する「無敵の人」。周囲の大人(しかも善人)が圧倒され、一緒に走りたくなるのも当然の成り行きだ。
本書の最後に収録された瀬戸内寂聴氏との対談で、小説家への転身が示唆されている。それが特殊読書になるのか普通読書になるのかはわからないが、小保方氏の小説が出たら、僕は間違いなく読む。
なんてことはない、こうして僕も小保方氏にいてこまされているのである。
『週刊現代』2019年6月22・29日号より