やはり重度の薬物中毒だった——。覚醒剤取締法 違反(所持、使用)などの罪で起訴された「CH AGE and ASKA」のASKA被告(5 6=飛鳥涼、本名・宮崎重明)が、警察の取り調 べに「20年以上前からMDMAなどを使用して いた」と供述していたことがわかった。当初は薬 物の使用時期について「2〜3年前から」として いたが、大幅に“上方修正”。これは本紙が昨年7 月に匿名報道した時から、再三指摘している「ロ ンドン滞在中に(薬物を)覚えた」との証言とピ タリ一致する。
「彼は重度のヤク中。ヤクザ連中からも『あれ以 上やったら死ぬ』と心配されたほど。(使用期 間)2〜3年というレベルじゃない」(芸能人の 薬物事情を知る人物)。こうした話は逮捕前から 裏社会でささやかれていた。
ASKAは当初、警察の調べに「2〜3年前か ら覚醒剤を吸っていた」と話していたが、ここに きて使用時期に関する供述を大幅変更。本紙既報 通り、20年以上前の英国滞在中から使用してい たことを認めたという。
デビュー10年目の1989年、チャゲアスは 活動休止を発表し、ASKAは単身渡英。その 際、ある日本の大物アーティストXがASKAを 手引きしたとウワサされている。
「XはASKAより年上で、バンドを率いていた ロック界のレジェンド。ASKAより先にロンド ンの滞在経験があったことから、弟分のASKA に現地カルチャーの一つして、マリフアナや合成 麻薬を教えたそうだ。当時のロンドンでは『よく あること』だったが、これがASKAを“覚醒”さ せる一つの原因になったことは間違いない」(A SKAを知る関係者)
ASKAがロンドンに滞在したのは半年ほど だったが「現地に家を購入し、移り住むことまで 考えるほど気に入っていた」(同)という。
帰国したASKAはその後、ヒット曲を量産。 91年に「SAY YES」、93年には「YA H YAH YAH」でミリオンセールスを記録 した。この2大ヒット曲もクスリの力に頼って生 み出されたものなのか…。
前出の音楽関係者は「ロンドンから帰国してか らは、(薬物を)やらない時期もあったそうで す。2大ヒット曲が生まれた時は、そこまでおか しいとは感じませんでしたね。むしろ『あれ?』 となったのは、ヒット曲が出なくなった90年代 後半から。歌詞に『ドラッグ』や『シャブ』を連 想させる言葉が目に付くようになって…」と話 す。
とはいえ、一部で指摘されているように90年 代前半の曲にも薬物を想起させる歌詞はある。9 3年3月に発売された「YAH YAH YA H」の両A面シングル「夢の番人」では「運び屋 の白い粉袋の秘密で」と歌っているのだ。また、 96年4月発売のアルバムに収録された曲「港に 潜んだ潜水艇」には「口の中に薬を撃ち込まれた 気分さ あちらこちらの 心臓が一斉に騒ぎ出 す」との歌詞も。
ファンにとってせめてもの救いは、大ヒットし た曲の中にこうした疑惑の歌詞や表現がないこと だが、ファンを裏切った“罪”は重い——。
livedoor参照
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