世界で最も災害の多い国、日本。かつて我々の先祖たちは、災害の恐ろしさを地名に託し、後世に伝えようとしていた。そんな災害と深く関係する「あぶない地名」の数々を、「現場検証」する。
■「きれいな地名」は要注意
都内屈指の高級住宅街、東京都目黒区自由が丘。「住みたい街」ランキングでは常に上位にランクされるこの地に、戦後から暮らす80代の男性が自由が丘の過去について、驚くべき証言をした。
「この辺りには、かつて大岡山から大蛇が襲ってきたという言い伝えが残っています。おそらく水害をなぞらえているのでしょう。今では考えられませんが、かつてこの地では、子供が溺れる水難事故が多かったようです」
男性によれば、'14年秋のゲリラ豪雨の際、家の目の前のマンホールから水があふれ、蓋が浮くほどだったという。
--災害大国日本。そう呼ばれるこの国は頻繁に天災に見舞われてきた。これからの時期は、台風によって各地で水害、土砂災害が出ることだろう。
日本には、長い歴史の中で、幾度も天変地異に遭っている土地が存在する。そういう場所には先人が災害を示唆する地名をつけていることが多い。つまり地名を知れば、災厄を予見し、我が身を守ることもできるのだ。
だがそうした地名は、時の流れの中で名称が変わってしまい、表面的にはその危険性がまったくわからなくなってしまっている土地もある。
本誌は今回、そんな様々な「あぶない地名」のその後と、いまを歩いた。
現在の目黒区自由が丘、緑が丘、世田谷区奥沢にあたる地域は、かつて「衾(ふすま)村」と呼ばれていたという。その由来は諸説ある。『郷土目黒』(目黒区郷土研究会発行)によれば、かつてこの地が谷に挟まれた「はざまの土地」であったことから、それが転訛して「ふすま」と名付けられたとしている。
他にも、馬が足を取られやすい湿地であったために、それが「伏馬(ふしま)」と言われ、後に「衾」へ転じたという説もある。どちらにせよ、この地域一帯は谷間にある低地で、周辺の川から水が流れ込みやすい場所だったのだ。
実際に、今でも自由が丘には水害の危険性がある。この地域のハザードマップを見ればそのことが手に取るように分かる。東急大井町線の自由が丘駅から緑が丘駅に至るまでの線路脇を実際に歩いてみると、住宅が密集して立ち並んでいるが、ハザードマップによれば、家屋の2階まで届く2m以上の浸水が予想されているのだ。
自由が丘をはじめ、日本全国には「○○が丘」や「○○台」、あるいは「希望」や「光」といった明るい意味の単語を使った地名は数多い。そのほとんどは近年つくられたばかりの新興住宅地。ところがそうした場所は、古い地名が災害と関係していることがしばしばある。
そう語るのは「地名情報資料室」を主宰し、『この地名が危ない』(幻冬舎新書)などの著書をもつ地名評論家の楠原佑介氏だ。
「新地名が一つ誕生すると、少なくとも数個の旧地名が抹消されます。そうなるとその土地に根付く伝承、それこそ災害の歴史も人々から忘れ去られてしまいます。残念なことに今の日本には『聞こえの悪い地名は変えてしまえ』という風潮が蔓延しています。
不自然に明るい印象を受ける地名が付けられる背景には、行政や企業が災害を示す旧地名、いわゆる『あぶない地名』を隠そうとする意図が見られる場合もあるようです」
楠原氏が「あぶない地名」と表現する、災害と密接に関連した地名。その中でも比較的分かりやすいものが「蛇」のつく地名である。
■公園や橋の名に痕跡が
戸建ての住宅が整然と立ち並ぶ、愛知県名古屋市天白(てんぱく)区もそうした、「蛇地名」をもつ地域のひとつ。『天白区の歴史』(愛知県郷土資料刊行会発行)には、〈蛇が多くおって、土砂を取るために崖を崩すと、蛇が群がって落ちてくる〉と記されているように、この地区は土砂崩れを示唆する「蛇崩(じゃほう)」という地名で呼ばれていた。
区役所総務課を訪れ確認したところ、確かにその通りだという。
区内を流れる天白川によって、天白区は何度も土砂災害に遭っている。'00年に起こり、のちに内閣府が「激甚災害」に指定した「東海豪雨」でも川が氾濫。区内全域に土砂濁流が押し寄せ、2名の死者が出た。
天白区にある住宅メーカーの従業員にこの土地について尋ねてみると、
「この付近は、地形として谷底の低地。そのため天白川による浸水の可能性は高く、液状化の恐れも否定できません」
という返答があった。やはり蛇崩は災害に深く結びついているらしい。
一方で、町の先々で道行く人に蛇崩の名について尋ねてみたところ、「知らなかった」という答えばかり。蛇崩という地名は人々の間で忘れ去られてしまっている。
そうした中で、住宅地の中にひっそりと佇む「蛇崩第一公園」と名付けられた公園を発見した。気をつけて見ていれば地名の面影はしっかりと残されているのだ。
長年、山津波に襲われ続けてきた歴史をもつ長野県南木曽(なぎそ)町。'14年7月9日にも大規模な土石流災害が発生。JR中央本線の鉄橋が流されるなど、その被害は甚大だった。
住民たちはこうした南木曽町で起こる山津波をある独特な言い回しで表現している。
「大雨が降り続いているときに、急に沢の水が止まることがある。それが『蛇抜け』の前兆。すぐに逃げなくてはならん。さもないと石が鳴り出して、蛇抜けが起こる」(80代男性)
住民たちが使う、聞きなれない「蛇抜(じゃぬけ)」という言葉。もちろんこれも、天白区と同様の蛇地名で、大雨による土砂崩れ地帯を示している。
注意深く町の周辺を散策すると「蛇抜橋」や「蛇抜沢」といった標識が目に入る。また、かつての中山道沿いを進むと、道の端々には、かつての土砂崩れによって運ばれた巨岩が点在していた。
さらに町の中心部まで歩いていくと「蛇ぬけの碑」と書かれた慰霊碑を見つけることができた。そこにはこう刻み込まれていた。
--長雨後 谷の水が急に止まったらぬける 蛇ぬけの水は黒い 蛇ぬけの前にはきな臭い匂いがする--
'53年に起こった土石流の犠牲者を祀るこの慰霊碑には、蛇抜の教訓がはっきりと示されていた。
■「高級」なのに「洪水」
歴史に残るような大規模な災害。これらが発生した場所には、多くの場合、特有の地名がある。
今から30年以上前、'82年7月23日から翌24日にかけて、長崎市内を集中豪雨が襲った。「長崎大水害」と呼ばれるこの水害で、市内全域は瞬く間に冠水した。
被災地の中でも、23人という多くの犠牲者を出したのが長崎県長崎市鳴滝(なるたき)だった。この町はかつて幕末期に出島で医師を務めたドイツ人・シーボルトが開設した鳴滝塾があった場所として有名で、現在も観光客で賑わう。だが実は水害多発地帯としての一面もある。
「鳴滝」という地名について『地名用語語源辞典』(東京堂出版)では〈水音をたてる滝。水音の激しい急流〉と説明しており、水が激しく流れる土地を示している。
長崎大水害で甚大な被害を出した鳴滝だが、被災現場を訪れたところ、もはやその面影はなかった。新しく建てられたのであろう住宅を含めて、家々が密集している。
この鳴滝は昔、人々が頻発する水害を避けたため、それほど住宅はなかったそうだ。それが近年になって引っ越してくる人が急増し、今のような住宅地を形成しているという。その理由を、長崎市内の不動産業者はこう指摘する。
「少し前に、鳴滝を『高級住宅地』にする触れ込みがありました。それからですよ、どんどん家が増えていったのは」
たしかに町を散策してみると、シーボルト記念館の周辺は綺麗に整備されており、異国情緒すら感じられる。ほどよく自然もあって、閑静な山の手といった雰囲気だ。不動産業者は続ける。
「お店に来る年配のお客さんの中には『高級住宅地』という宣伝文句に惹き付けられて鳴滝に家を建てた方が大勢いらっしゃいますが、後から防災マップを見て、ビックリされますよ」
同じく九州は福岡県みやま市瀬高町東津留(ひがしつる)。19世紀から今に至るまで20回以上、町を流れる矢部川の氾濫に遭っている。'12年7月11日~14日にも、梅雨前線に伴う集中豪雨によって矢部川の堤防が決壊、濁流が東津留の家々を呑みこんだ。
この堤防が決壊した現場周辺には「津留」という地名がよく見られる。矢部川を挟んで東津留の反対にある柳川市大和町六合という地区は、かつて「西津留」と呼ばれていた。さらにその両地区を「津留橋」が結んでいる。
津留地区で一番の長寿である93歳の男性に話を聞くことができた。
「『津留』という地名はよう水害が起こる場所だと、わしらぐらいの者はみな知っとる。矢部川が鶴の首みたいに蛇行してるだろ。わしが小さい頃はそこからしょっちゅうキレよった(氾濫した)」
現地で矢部川を間近にすると、確かに鶴の首が曲線を描いているように、大きく蛇行している様がよく分かる。この「鶴」が「津留」となり、今に歴史を伝えているのだ。
■大都市圏も油断はできない
一方で、災害が起こりやすい地名を見つける際、土地の今の様子だけを判断材料にしてはいけない。川や山に近い場所は当然、災害も発生しやすいが、大都市の中心部であっても油断はできない。大阪府大阪市鶴見区放出(はなてん)もそうした土地に当てはまる。
大阪市の東部に位置するこの放出は、マンションやスーパーマーケット、工場などが立ち並ぶ活気あふれる町だ。駅に降り立って辺りを見回しても、災害とはまったく無縁な風景が広がっていた。
しかしこの町を明治時代の古地図で見ると、様相は一変する。かつてこの地は田畑や池が非常に多い低湿地帯だったのだ。北には寝屋川、南には第二寝屋川、そして西には淀川と、3つの川に囲まれる形になっているこの放出。それゆえ川が氾濫すれば、水が一気に町に流れ込む可能性が高い。
「かつてあった湖水が、淀川に合流する地点で、水を放出していた。昔から水の集まりやすい土地として、『放出』と呼ばれるようになった」(70代の住民男性)。
'72年と'76年の二度にわたって発生した寝屋川の氾濫による水害を体験した、放出で長年暮らす80代の女性はその時の苦労をこう打ち明ける。
「あの時は生まれて初めて床上浸水を経験しました。家にも泥水が流れ込んでそれはもう大変でしたよ。三日三晩、朝5時に起きて夜の10時まで泥を掻き出す作業をして、もういっぺんに歳をとった気がしました」
放出の住民たちは、
「今は(寝屋川や淀川は)整備されているから大丈夫」
と話すが、これは油断以外の何物でもない。国土交通省のハザードマップでは、寝屋川の氾濫時には1~2mの浸水が、さらに淀川の氾濫時には同2~3mが見込まれている。これは大阪市内の他の地域と比較しても、きわめて危険度が高い。「水害は過去のもの」とは単なる思い込みにすぎないのだ。
■そこは「ガケ」です
さらに、冒頭で東京都内・自由が丘の意外な危険性を紹介したが、首都圏に戻ってみても、他に多くの災害地名が存在する。
神奈川県横浜市中区野毛(のげ)町は、野毛山動物園を頂点とした丘陵地となっている。町は起伏が激しく、道路脇の急傾斜は、今にも崩れそうな状態をやっと抑えているかのように舗装されている。
'14年10月、この町の一部で崖崩れが発生して寺院に流れ込み、僧侶が1名亡くなった。
近くの住民は、
「事故が起こるまで、『崖がある』という程度の認識で、そこまで危険だとは思っていなかった」
と言うが、実はこの「野毛」という地名が、災害を警告していた。
『横浜の町名』(横浜市市民局)では〈ノゲとは崖のこと〉としている。つまり野毛が、崖崩れや土砂崩れが起きやすい土地だと明示されている。
さらに『横浜の町名』の続きには、〈野毛町の地域には、有名な切り通しがあり、この切り通しは「野毛」という地名が意味する崖をまさに切り取っているのである〉とある。山を切り開いてできた町が野毛の本当の姿。危険があって当然なのだ。
他にも思いがけない災害地名として、「蟹」というものがある。神奈川県川崎市高津区蟹ケ谷(かにがや)はそんな蟹がつく珍しい地域だ。
川崎市発行の『川崎地名辞典』には〈「蟹」は、「剥落しやすい土地」を示す「カニ」から来たもの〉と、その由来が記されている。それを証明するように、'89年8月にこの蟹ケ谷で崖崩れがあった。当時を知る住民が振り返る。
「あの日は大雨が一晩続きました。ゴルフ場やバッティングセンターが建つ崖の上から土砂がなだれ落ちたんです。住宅に流れ込んで3人が亡くなりました」
その後、事故発生現場の崖下は造成されて、住宅地になったとその住民は話す。新しく引っ越してきた人たちは、大きな崖崩れがあったことを知っているのだろうか。
ここまで災害に関係する数々の地名をあげてきた。だがこれらは、ごく一部にすぎない。前出の楠原氏はこう語る。
「地名には必ず、そこで暮らす人の生活の上で不可欠な意味があります。だからこそ、長い間、災害と接してきた日本には『あぶない地名』があるのです。せめて自分の住む所、あるいはこれから住もうとしている土地の名前がどんな意味で、どういった場所なのかを知っておいて損はありません」
自分の住む土地の由来や成り立ちを、少しだけ振り返ってみることが、家族の命を救うことになるかもしれない。
*表の参考資料:『地名用語語源辞典』(楠原佑介・溝手理太郎編)、『地名は警告する』(谷川健一編)、『地名は災害を警告する』(遠藤宏之著)、『この地名が危ない』(楠原佑介著)、『あぶない地名』(小川豊著)
こわい
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