小保方晴子氏
 STAP細胞はあります――。彗星のごとく現れた割烹着のリケジョ・小保方晴子氏(35)は、論文に疑義が呈された後の会見で、こう言い放った。しかし、彼女が目下生きるのは“実験”とは真逆の“虚構”の世界なのだ。
 2014年(平成26年)1月。小保方氏が発表した「STAP細胞」は、世界中の注目を集めた。しかし、
「発表からわずか2カ月後、共同研究者に論文撤回を呼び掛けられ、小保方さんは一転、“疑惑の人”に。加えて、研究の根幹をなす画像が博士論文からの流用だったことまで発覚し、7月には論文が取り下げられるのです」(全国紙記者)
 騒動後、長らく雲隠れを続けていた小保方氏は、2年の月日を経て、初の著書『あの日』を刊行。さらに、18年3月には『小保方晴子日記』を上梓した。
小保方晴子氏
 著書の中で、16年6月から小説の執筆に取り組み始めたと明かし、すっかり文筆家気取りの小保方氏。だが、この騒動に犠牲者がいたことを忘れてはなるまい。
「論文撤回直後の14年8月5日、小保方さんの最大の理解者だった笹井芳樹先生が研究所で自殺したのです。笹井先生は最後まで彼女のことを信じ、彼女宛の遺書には〈STAP細胞を再現して下さい〉と書かれていたといいます」(同)

小説を書く前に

 STAP細胞を再現する気は本当にあるのか。恐らく、小保方氏にこの質問が出来るのは、故・笹井芳樹氏の妻を措いていまい。
 神戸市にある閑静な住宅街に未亡人を訪ねたところ、
「小保方さんの著書は読んでいませんし、彼女のことは、もう視野の中にもありません」
故・笹井芳樹氏
 とした上で、こう話してくれた。
「主人は彼女を信頼していましたし、当時はバタバタの中にいたこともあって、STAP細胞はあると信じてしまっていたんじゃないかと、今は思っています」
 かつて夫とともにSTAP細胞の存在に期待を寄せていた彼女だが、
「やっぱり色々考える時間もあったので……」
 と、心境の変化があったことをほのめかすのだ。
 もっとも小保方氏個人を責めるつもりはないといい、
「彼女は、ユニットリーダーという立場だったから、研究を一生懸命やろうとしたけど、付いて行けなかった。それで、もしかして、夢中になって間違えちゃったんじゃないかなとも思います」
 とはいえ、小説の執筆については、
「小説を書くことは別にいいと思いますよ。でも、そこまで力が、文才があるかって言われたらどうなんですかね。真に小説として、例えば東野圭吾さんのような面白さがあるのか。結局、話題性ですよね」
 と首を傾げる。
「彼女は(瀬戸内)寂聴さんとの対談でもSTAP細胞があるようなことを言っていたそうですが、それならば小説を書く前に実験をやっていただきたい。STAPがあると言うのだったら、それを証明するべきだと思います。実験は、日本じゃなくても出来るんですから。もし、彼女に会ったら、なんで実験をやらないのと聞いてみたい」
 平成のコペルニクスとなるか、はたまた“俗物”として終わるのか。小保方氏は未亡人の質問に何と答えるのだろうか。
「週刊新潮」2019年1月3・10日号 掲載