岡田朋峰(本人のInstagramより)
 栄冠を手にした彼女の美貌に、異論を唱える者はそうはいまい。しかし、誰もが諸手を挙げて祝福の言葉を送るかといえば、話は別だ。ミスコンの日本代表に輝いた岡田朋峰(ともみ)(20)は、2006年に亡くなった俳優・岡田眞澄(享年70)の娘にあたる。が、異母兄からは、彼女への不満の声が上がっていたのだ。
 岡田の娘・朋峰が来年の「ミス・インターナショナル世界大会」の日本代表に選ばれたのは、10月下旬のことだった。ご本人は、代表決定後のスピーチで、
「私には会いたい人がいました。7歳の時に亡くなった父です」
 と切り出したうえで、
「父はどんな時でもエレガントで、気品を忘れないようにと教えてくれました。今日、このステージで父に会えたと思います」
岡田朋峰(本人のInstagramより)
 岡田眞澄の娘であるという“七光り”を自らアピールしたのである。芸能リポーターの石川敏男氏は、
「ミス・インターナショナルは長年、眞澄さんが司会を務めていました。その娘が出場とあっては、選ぶ側としても、多少、気遣いが働くでしょうし、彼女にも計算があったはず。お父さんが司会だったミスコンに出れば必ず話題になるとね」
 青山学院大学に在学中の彼女は、身長172センチとスタイル抜群。デンマーク人とのハーフだった父親譲りか、日本人離れした彫りの深さを武器に、来年、世界の舞台で美を競うことになる。が、彼女が代表に決まると、岡田の遺族から祝福とは程遠い声が上がったのだ。
《まったく、僕にはどうでもいい事です。絶縁してますし、少なくとも、この彼女も一因で、僕の弟は父により自殺に追い込まれてしまったわけですから》
 そんな怨嗟の声がツイッターに投稿されたのは、朋峰が代表に選ばれた翌日。発信者は、朋峰の異母兄で、ラジオDJとして活躍する岡田眞善(しんぜん)(45)だった。

夜中に金庫から

 ここで、岡田家について、整理しておこう。生前、プレイボーイとして名を馳せた岡田は、生涯で3度の結婚をしている。2人目の妻となる女優・藤田みどりとの間に、眞善を長男とする3人の子供を儲けたが、入籍から23年目にしてピリオドを打つ。
 芸能記者が引き取ると、
「岡田は、離婚の翌年、26歳年下の元CAだった女性と結婚しました。が、実は、8年に亘る不倫の末の結婚だったのです。この3番目の妻との間に生まれたのが、ミス代表となった朋峰です」
 前妻の子供である眞善が、後妻との間に生まれた朋峰に好意的でないのは、そんな事情があるからだろう。
 眞善の知人が語る。
「眞善の母親、みどりさんとの離婚の際に、眞澄さんは、映画を撮るためだと言っていたのです。“失敗したら借金を抱え、家族に迷惑がかかる。そうしないために、完全に縁を切ろう”と」
 蓋を開ければ、これが全くのウソ。実際は朋峰の母親と一緒になるための口実だったというわけである。
「離婚してから、寝静まった眞善たちの家に眞澄さんが忍びこんで、金庫から金を持っていくこともあったそうです。子供たちの学資保険や、絵画なども少しずつ持ち出していた。1年後に結婚発表を知り、ようやく騙されたとわかった」(同)
 別れた家族が、未だに父親に裏切られたという思いを抱いていても不思議ではない。それにしても、三男にあたるという弟の自殺の一因が朋峰にもあるというのはなぜなのか。
「眞善の弟は舞台制作の仕事をしており、自殺の1年前に眞澄さんを起用した舞台を企画していました。ところが、眞澄さんは、朋峰さんの運動会が上演期間と被っていることを理由に、直前に断ったのです」(同)
 さらに、自殺の2日前には、こんな出来事もあった。
「家族の思い出が詰まった別荘が取り壊され、建築計画の看板に建築主として再婚相手の名前が出ていたことで、三男のショックが拡大したようです」(同)
 そこで、岡田眞善にツイートの真意を聞くと、
「彼女は、僕ら家族がどんな思いで生きて来たかは知らないはず。だから恨むつもりはありません。でも、父は再婚した際、岡田姓を捨てて相手の“鑓田(やりた)”という籍に養子に入ったのです。だから彼女の本名は“岡田朋峰”ではなく“鑓田朋峰”のはず。それなのに、突然、岡田を名乗って出場したのは都合がよすぎるし、エレガントとは思えません。生前の父は、自分の事は棚に上げて、テレビで離婚相談に乗っていましたが、悪い冗談にしか見えなかった。彼女は、そういった父のデリカシーのない部分を受け継いでいると思いますよ」
 日本を代表する美の親善大使に求められるのは、美しさのほか、知性と教養、人を惹き付ける魅力があるかだという。彼女はその条件を満たしているのかどうか。結果は、1年後の世界大会で明らかとなる。
「週刊新潮」2018年11月22日号 掲載