今週にも参議院での審議に入るとみられる安保法制だが、強行採決という安倍首相の暴挙に、国民の怒りの声はおさまらない。それを裏付けるように、昨日までの三連休のあいだにも、全国各地で安保法制に反対する抗議運動が展開された。
だが、こうした"安保法制反対"のデモが高まる一方で、水をさすように、デモを冷笑する著名人たちも現れつつある。
たとえば、ホリエモンこと堀江貴文は、こんなツイートを投稿した。
〈安保デモとかに参加してる奴らってアポロが月に行ってないとか本気で信じてるような奴らだよな。。〉〈(安保に賛成?反対?という問いに)正直どっちでもいい〉
ホリエモンが何を言いたいのかわかりづらいが、たぶん、安保法制に反対している人びとはリテラシーが低い、とでも言いたいのだろう。戦争法案? 何それ。徴兵制になるとか本気で信じてるわけ? まじウケるんですけど──という、ネット上でもよく見られるこの手の意見をホリエモンももっているらしい。
また、爆笑問題の太田光も、19日に放送された『爆笑問題・太田光が訊く 瀬戸内寂聴の戦後70年』(TBSラジオ)で、病み上がりながらも国会前デモに参加した瀬戸内寂聴に対し、こう言った。
「そのやり方は通用しないんじゃないかなと。むしろ同じ席に行って話すほうが効果があるんじゃないかと、もどかしさを感じる」
瀬戸内ほどの文化人ならば、デモに行くより直接話したらいいのに。太田はそう言いたかったようだ。だが、太田だって、今年4月に開かれた安倍首相主催の「桜を見る会」にも参加した"有名人"である。瀬戸内にそんな提案をするならまずはお前がやれよ、と言いたくなるが、太田は同時に、デモの有効性自体を疑問視。"これまでデモをやっても1回も政権とわかり合えなかったのに"──そう諦め、デモに参加したところで通用しない、と話しているのだ。
しかし、ホリエモンのような"安保デモ行く奴は情弱認定"派も、太田のような"デモなんかやっても無駄"派も、根底にあるのは同じ。それは「他人事」という思想だ。
そもそも、ホリエモンは奇しくも太田と同じく瀬戸内と対談した『死ぬってどういうことですか? 今を生きるための9の対論』(角川学芸出版)のなかで、自身の戦争体験をもとに「だって安倍さんが言ってること、してること見たら、いかにも戦争をこれからしよう! って感じじゃないですか?」と話す瀬戸内に対し、「いやいや。それは言いすぎじゃないですか? (安倍首相は戦争を)別にしたくはないでしょ」と反論。中国との経済的結びつきを論拠に「そりゃあ絶対にないですよ」と断言している。
だが、ホリエモンのこの見立て自体が間違っている。本サイトでは何度も指摘しているように、安倍首相は「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの。だから、やる(法案を通す)と言ったらやる」とオフレコ懇談会で記者たちを前に豪語。過去に行われた対談でも"尖閣で日本人が命をかける必要がある"と話している。経済的な"国益"に反しても、安保法制を通して中国と交戦する──それが安倍首相の目的であることは明白だ。
でも、じつはホリエモンの本音は、戦争になろうがならまいが、どっちでもいいのだ。事実、瀬戸内との対談では「僕は、(中略)戦争が起こったら、真っ先に逃げますよ。当たり前ですよ」「第三国に逃げればいいじゃないですか」と答え、逃げられない人はどうするの?という瀬戸内の問いかけに、「行かれない人はしょうがないんじゃないですか?」と回答している。
逃げる金のない奴は死ねばいい。こうした考えをもっている人間にとっては、そりゃあ安保法制なんて〈正直どっちでもいい〉はずである。だが、"命は金で買える"と思っているような人間が、デモを批判する資格などない。逃げるような金なんてないし、たとえホリエモンのような銭ゲバでも誰ひとり戦争で殺してはいけないと考えている人びとが、いま、声をあげているのだから。
さらに、太田の"デモなんかやっても無駄"という意見も、ホリエモンと同様に「他人事」思想から発せられている。
太田のように安倍首相と直接話をすることもできない、でもその政策に不満をもつ人びとができることは何か。多くの人は「選挙があるじゃん」と言うだろうが、選挙は正しく"民意を反映"した結果とはならない。自民党なら経団連や日本商工会議所、日本医師会、電気事業者連合会、神道政治連盟、日本会議など、公明党なら言わずもがな創価学会がバックに控えるように、選挙では政党がどれほどの団体・企業・組織から支持を取りつけているかによって結果を大きく左右される。しかも、小選挙区制では得票率が低くても簡単に圧勝することが可能だ。第一、選挙による多数決では、少数者の意見は無視されてしまう。
逆に、デモは選挙のように間接的にではなく、直接的に政治にかかわる方法だ。そしてそれは、日本国憲法や国際人権規約でも保障される、正当な市民の権利である。いまの安倍首相がそうであるように、ときに国家権力は暴走する。それを主権者である市民が阻止し、民意を突きつける。それがデモの役割であり、民主主義の根幹を支える自由だ。
それに、太田にとっては現在の安保法制反対デモが無駄な行為のように見えるのだろうが、それはちがう。実際、安倍首相は全国に拡がる反対デモに敏感になっていると伝えられているし、政権へのすり寄りが目につくNHKやフジテレビ、日本テレビの報道番組では、デモの様子を最小限の扱いに留めている。これはデモの映像がもつ政権へのダメージを考慮した結果であることは疑いようもない。
こうした正当な権利、民主主義に基づいた当然の行動に対してイチャモンをつけるくせに、太田は結局、安倍首相の隣でおどけたポーズを取って写真を撮ることしかできない。もしほんとうに太田が安倍首相を「バカ」と思っているのなら、この政治状況がおかしいと思っているのなら、他人事にせず、自分が動けばいいのだ。だいたい、太田のような有名人がデモに参加すれば、一体どれほどの影響力があるだろう。直接、安倍首相と話をするよりも、それは絶大な力をもつはずだ。
アメリカの著名な哲学者、言語学者であるノーム・チョムスキーは、9・11のテロのあと、"テロとの戦い"という錦の御旗のもとに世界中の政府が国民に愛国心を扇動し、日本においては憲法改正がなされ、戦争を正当化していくことを予見した。そして、世界中の市民にこう訴えた。「屋根の上から大声で叫ぶ必要があるんだ」と。
日本の全国各地の路上であがる、「戦争なんかしたくない」というシュプレヒコール。この切実なひとつひとつの声を潰すことは、誰にもできない。させてはいけないのだ。
彼らがお金に困る事はないからな
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