10月27日の渋谷の様子(Michael Steinebach / AFLO)
 ハロウィンとはそもそも、10月31日に行われてきた古代ケルトで始まった収穫祭と悪霊払いを兼ねた行事だったはずが、アメリカを経由して日本へもたらされた姿は、仮装して大騒ぎをするイベントに変化していた。子どもたちがお化けの格好をしてお菓子をねだる姿はかわいらしいが、いまや日本でハロウィンといえば、主に渋谷を中心とした乱痴気騒ぎを思い浮かべる人が多いだろう。ライターの森鷹久氏が、渋谷で暮らし、働く人たちにとって現在のハロウィンについてレポートする。
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「今年の週末は特にひどかった。センター街(バスケットボールストリート)では、通行中の軽トラックが群衆にひっくり返されました。人が乗っているのにですよ? 幸運にもけが人は出なかったようですが、まるでニュースで見る外国の事件で暴れる人たちのようで…」
 ハロウィンの大騒ぎから一晩明けた10月28日朝、渋谷センター街でアパレル店を営む男性は、店先に落ちた、いや放置された酒の瓶、空き缶など様々なごみを拾いながら、市民による昨晩の「暴挙」を振り返る。
 筆者は女性向け雑誌の編集者だったころ、一年のうち300日くらいを、センター街で過ごしたこともある。当時はと言えば、渋谷は、特にセンター街一帯はまさに「ギャルとギャル男」の街であり、そこら中に派手な格好をしたギャル、ギャル男と呼ばれるような若者がたむろし、プリクラ店「プリクラのメッカ」でプリクラを撮った後は、ファッキン(ファーストキッチン)やマック(マクドナルド)に入り浸る。そんな光景が普通だった。
 当時、彼らを排除しようとする動きもあった。地元商店街有志らが、非行青少年の温床などとメディアが報じることで「印象が悪くなる」と、自警団的な組織を結成し、夜な夜な、パトロールを行っていたのだ。
「今考えれば…当時の若い連中はまだ可愛げがあった。特にセンター街に集うギャルたちは、見た目の印象からメディアには悪くとらえられがちでしたが、実際に喋ってみると、まだ話ができる知能を持ち合わせていたし、ゴミを散らかしたり、店先の看板を壊したりなんてほとんどなかった。今、ハロウィンだ(サッカー)日本代表だといって渋谷で大騒ぎしている奴らは…猿だね。話が通じない」(当時の自警団メンバー)
 かつての渋谷は、ギャルの聖地とされた「渋谷109」やメンズ版「渋谷109‐2」、他にも多くのギャル、ギャル男向けアパレル店、雑貨店があふれかえっていた。その後「H&M」や「FOREVER21」に代表されるファストファッション店が出店しだすと、様々な意味での「渋谷らしさ」は消えていった。生まれも育ちも渋谷区内で、三年前まで、「渋谷109‐2」のアパレル店で店長をしていた牧野勇作さん(仮名・27歳)も、次のように述解する。
「少なくとも7~8年位前までは、日本代表の試合もハロウィンも、まだ渋谷の人たちだけが楽しんでいた、という印象でした。行けば誰か知り合いはいるし、そりゃ喧嘩とかはあったけど、今みたいに無分別ではなかった。昨日(27日土曜日)も渋谷に行ってみたのですが、堂々と痴漢している奴もいれば、若い女の子のパンチラ撮ってるおじさんに、AV撮影のクルーまで。喧嘩は以前より少ない印象ですが、なんというか、昔の渋谷にはいなかったような、ダサい…いや、田舎者が多い印象です」
 センター街近くの路上に駐車された他県ナンバーの改造車から「EDM」と呼ばれる若者に人気のジャンルの音楽が大音量で流れると、酒に酔っぱらっているものの、垢ぬけない風貌の若者たちがわらわらと集まり、盆踊りというかタコ踊りというか…何とも言えない奇妙なダンスを披露した。彼ら、彼女らが「田舎者」であることは、確かに一目瞭然だ。
 渋谷センター街でアパレル店を営む別の男性も、最近の渋谷でのハロウィン騒動にはこう苦言を呈す。
「以前はハロウィンと言えば“商機”でしたが今は違う。店先の商品は盗まれるわ、酔っ払いが絡んでくるわ、とても普通に店を開けていられない。三年前から、ハロウィン期間は営業を早めに切り上げたりしていますが、今年も閉めていたシャッターに吐しゃ物が残され、脇の路地では朝まで男女が酔い潰れて寝ていました。
 若くて調子に乗ることは誰でもあるだろうが、昨日渋谷に集まっていたのは、単なる暴徒。一人一人は、どうしようもない田舎者なのに、みんなで騒げば怖くないという連中でしょう。昨晩だけじゃない。ハロウィンの前後一週間は、普段渋谷に縁のないような連中が面白おかしく集まってくる。もう本当に勘弁してほしいんだよ…」
 本当の「渋谷人」達が吐露する「ハロウィン騒動」への本音。渋谷駅周辺は近年、大規模な再開発事業が進み、グーグル日本法人が本社屋を構えるなど、新たな街づくりが進んでいるのだが、一方で、無責任な暴徒たちが集う街としての「汚名」を着せられている。31日も、そして来年もまた、彼らが泣きを見ることになるのか。