東京事変、閏年に8年ぶり“再生” 新曲「選ばれざる国民」配信開始 全国ツアーも発表
シンガー・ソングライターの椎名林檎を中心に2003年に結成され、2012年2月29日の日本武道館公演で解散した5人組バンド「東京事変」が、閏(うるう)年の2020年、8年ぶりに“再生”することが1日、発表された。
東京事変の公式サイトでは「閏え!2O2O 東京事変 再生」と発表。解散から2度目の閏年に椎名林檎(ボーカル)、亀田誠治(ベース)、刄田綴色(ドラムス)、浮雲(ギター)、伊澤一葉(キーボード)の5人が再集結することが明らかになった。
東京事変は早速、新曲「選ばれざる国民」の配信をスタート。作詞は椎名、作曲は浮雲、編曲は東京事変が担当した。
あわせて、8年前に解散した閏日の2月29日から全国6都市7会場で計13公演を行う全国ツアー『東京事変 Live Tour 2O2O ニュースフラッシュ』の開催も発表。ティザー映像「BRAND NEW INCIDENTS 2O2O」公開された。
■『東京事変 Live Tour 2O2O ニュースフラッシュ』日程
2月29日(土):東京・ 東京国際フォーラム ホールA
3月1日(日):東京・東京国際フォーラム ホールA
3月6日(金):大阪・フェスティバルホール
3月7日(土):大阪・フェスティバルホール
3月14日(土):宮城・仙台サンプラザホール
3月15日(日):宮城・仙台サンプラザホール
3月21日(土):北海道・札幌文化芸術劇場hitaru
3月28日(土):福岡・福岡サンパレスホテル&ホール
3月29日(日):福岡・福岡サンパレスホテル&ホール
4月4日(土):愛知・名古屋国際会議場 センチュリーホール
4月5日(日):愛知・名古屋国際会議場 センチュリーホール
4月8日(水):東京・NHKホール
4月9日(木):東京・NHKホール
シンガー・ソングライターの椎名林檎を中心に2003年に結成され、2012年2月29日の日本武道館公演で解散した5人組バンド「東京事変」が、閏(うるう)年の2020年、8年ぶりに“再生”することが1日、発表された。
東京事変は早速、新曲「選ばれざる国民」の配信をスタート。作詞は椎名、作曲は浮雲、編曲は東京事変が担当した。
あわせて、8年前に解散した閏日の2月29日から全国6都市7会場で計13公演を行う全国ツアー『東京事変 Live Tour 2O2O ニュースフラッシュ』の開催も発表。ティザー映像「BRAND NEW INCIDENTS 2O2O」公開された。
■『東京事変 Live Tour 2O2O ニュースフラッシュ』日程
2月29日(土):東京・ 東京国際フォーラム ホールA
3月1日(日):東京・東京国際フォーラム ホールA
3月6日(金):大阪・フェスティバルホール
3月7日(土):大阪・フェスティバルホール
3月14日(土):宮城・仙台サンプラザホール
3月15日(日):宮城・仙台サンプラザホール
3月21日(土):北海道・札幌文化芸術劇場hitaru
3月28日(土):福岡・福岡サンパレスホテル&ホール
3月29日(日):福岡・福岡サンパレスホテル&ホール
4月4日(土):愛知・名古屋国際会議場 センチュリーホール
4月5日(日):愛知・名古屋国際会議場 センチュリーホール
4月8日(水):東京・NHKホール
4月9日(木):東京・NHKホール
椎名林檎「パプリカ」に困惑…一斉ダンスで首傾げ考え込む
12月30日、令和初となる「第70回NHK紅白歌合戦」のリハーサル3日目が行われた。そこに椎名林檎(41)が登場し、紅組のトップバッター・Foorinの「パプリカ」に合わせてダンスを披露。しかし慣れない振り付けに、不安が見え隠れしていた。
今回の紅白では、「パプリカ」のサビに合わせて出演者一同でダンスをすることになっている。当初、隣になったMISIA(41)と仲睦まじく談笑していた椎名。九州で育った2人のおしゃべりは止まらず、話すほどにヒートアップ! ともに顔を見合わせて笑っていた。
しかし、パプリカダンスでは一転。振付師やFoorinメンバーの指導のもとで練習していたが、笑顔で踊るMISIAに対して椎名は出遅れている様子。またMISIAがいったん舞台袖に戻ると、椎名はどこか所在なさげ。そして実際に「パプリカ」の音楽に合わせてリハーサルが始まると、困惑した顔つきになっていた。
サビは3回あり、パプリカダンスのリハーサルは計2回。しかし椎名は始終、首を傾げたままダンス。また振付師を凝視し、手を止めて考え込んでいるシーンもあった。
リハーサルが終わると、椎名はMISIAとステージで再会。やっと笑顔を取り戻していたが、本番はどうなる!?
椎名林檎40歳に 「音楽業界のおじさまが望む女」から「王道」への転換点
ミュージシャンの椎名林檎が、きょう11月25日、40歳の誕生日を迎えた。今月14日には、大晦日のNHK紅白歌合戦に、エレファントカシマシの宮本浩次とともに特別企画の枠で出場することが発表されたばかりだ。
「音楽業界のおじさまたち」が望んだアーティスト像
ナースの格好でガラスを叩き割り、強烈なインパクトを与えたシングル「本能」
今年は、1998年にシングル「幸福論」でデビューしてから20周年の節目の年でもあった。その登場はとにかく鮮烈だった。シングル「本能」(1999年)では、ジャケットやミュージックビデオにナースの格好で登場し、インパクトを与えた。椎名によれば、当時はタイアップがなくてはデビューできないような時代で、音楽をめぐる環境は必ずしもよくなかったという。そのなかにあって彼女は、自分の作品を手に取ってもらうため、《商品のイメージに合うように、広告とかシンボルに徹したい》と、どんな格好になることもいとわなかった(※1)。その戦略もあり、1stアルバム『無罪モラトリアム』(1999年)は160万枚超、2ndアルバム『勝訴ストリップ』(2000年)は250万枚超を売り上げた。
そうやってつくりあげたイメージはいつしか独り歩きしていく。歌詞が深読みされ、「椎名林檎」は偶像化された。しかしそれは本人の望むところではなかった。後年、デビュー当時を振り返り、《音楽業界のおじさまたちがおっしゃるアーティストのあるべき姿を盗み聞いて、宣伝になる材料をお渡ししなければと思っていました。それが世の中には、個性というふうに届いてしまって、大きな誤解をあちこちに投げかけているようで辛かったですね》と語っている(※2)。
結婚、出産、テロ――「籠もっていてはいけない」
デビュー3年目の2000年、「椎名林檎をアルバム3枚で閉じる」と宣言し、同年末には結婚、翌01年22歳で出産するとしばらく音楽から離れた。そんな彼女を再び音楽に引き戻したのは、出産直後に起きたアメリカ同時多発テロがきっかけだという。
《世の中が狂っていくことに対して何もできない自分がいて、子どもが私の年齢になったときの世界を考えていない母親の方が、よっぽど無責任だと思った。傷ついたりして籠っていてはいけないな、と。私は女だから、社会をどうにかするっていうより、人々の気分、感情に作用しなければいけない、関係することを怖がるのは情けない、と思いましたね》(※2)
こうして椎名は活動を再開、2003年、先の宣言どおり3枚目のアルバム『加爾基 精液 栗ノ花(カルキ ザーメン くりのはな)』とそのツアーをもって一旦ソロ活動に区切りをつけると、翌04年には信頼するミュージシャンらとバンド「東京事変」を結成する。以後、バンド活動を続けながら、蜷川実花監督の『さくらん』(2007年)で初めて映画音楽を手がけ、さらにこのときの楽曲を発展させ、バイオリニスト・アレンジャーの斎藤ネコとの共作としてアルバム『平成風俗』(2007年)を発表するなど、新境地を拓いていった。30歳を迎えた2008年11月には「椎名林檎(生)林檎博'08~10周年記念祭~」をさいたまスーパーアリーナで開催、新旧の自作を新たな解釈で歌ったこのライブは高く評価され、同年度の芸術選奨大衆芸能部門の文部科学大臣新人賞にも選ばれている。ソロアルバム『三文ゴシップ』をリリースし、6年ぶりに封印を解いたのは、その翌年のことだ。
ぼちぼち王道を歩かせていただいて良いですか?
東京事変の活動を含め、さまざまなアーティストやクリエイターとのコラボレーションを通じて、彼女は“大人(アダルト)”(東京事変の2ndアルバムのタイトルでもある)と呼ぶにふさわしいミュージシャンへと変貌を遂げていく。2012年2月の東京事変の解散と前後して、11年にはNHKの連続テレビ小説『カーネーション』の主題歌を手がけ、同年末の紅白歌合戦にも出場した。
近年は公的な仕事も多い。その予兆は、2014年11月、NHK総合の音楽番組『SONGS』に出演した際、2020年の東京オリンピックに向けて、ポップカルチャーはいかにアプローチするべきか積極的に提言したころから表れていた。そして、2016年のリオデジャネイロオリンピックの閉会式で、五輪旗を次回開催地の東京へ
引き継ぐセレモニーの音楽を担当。翌17年には、「東京2020オリンピック・パラリンピック」の開・閉会式の基本プランを作成する「4式典総合プランニングチーム」のメンバーに起用された。
引き継ぐセレモニーの音楽を担当。翌17年には、「東京2020オリンピック・パラリンピック」の開・閉会式の基本プランを作成する「4式典総合プランニングチーム」のメンバーに起用された。
《自分が目指していた場所は十八の頃から変わらない気がします。いろいろな段取りを済ませて、ここからが本番かなという思いです。『ぼちぼち“王道”を歩かせていただいても良いですか?』という気分です》とは、2014年のアルバム『日出処』リリース時の発言である(※3)。どれだけ大役を担おうとも、彼女の姿勢に揺るぎはない。
「ネットで共鳴し難い言葉をわざわざ探して」曲を作る
甘美でいて、どこか棘のある椎名の楽曲は、歳を重ねるごとに洗練されていくようだ。昨年放送されたドラマ『カルテット』の主題歌「おとなの掟」も印象深い。つい最近、同作の脚本家である坂元裕二との往復書簡で、彼女はこんなことを書いていた。
《近頃はよく、ネット上にあるあらゆる記事へのコメントから、それを発した人と、置かれた状況を想像します。そして返信コメントを投稿する代わりに詞曲を書く。つまりその時自分にとって共鳴し難い言葉をわざわざ探してはどう応えるかを考える…結果、単にこちらが学習する作業になっているし、一曲書くごとに草臥れ果てるし「やり方間違ってるかな」などと感じてもいます》(※4)
ポジティブなものだけでなく、ネガティブなものまで飲みこみながら、作品に反映していく。その胆力こそ、彼女の創作の源なのかもしれない。
※1 『広告批評』2003年1月号
※2 『AERA』2009年6月29日号
※3 椎名林檎『音楽家のカルテ』(スイッチ・パブリッシング)
※4 坂元裕二『脚本家 坂元裕二』(ギャンビット)
※2 『AERA』2009年6月29日号
※3 椎名林檎『音楽家のカルテ』(スイッチ・パブリッシング)
※4 坂元裕二『脚本家 坂元裕二』(ギャンビット)
(近藤 正高)
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