現場の高級ホテル

伊藤詩織さん事件に判決! 闇に葬られた「ドアマンの供述調書」(1/2)

 準強姦逮捕状が握り潰されて4年半。安倍官邸と次期警察庁長官を援軍とする総理ベッタリ記者とのレイプ裁判は長く苦しいものだった。が、その過程で闇に葬られた「ドアマンの供述調書」が浮かび上がってきた。それこそが控訴審のカギを握っているのである。
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 世の中で怖いものの通り相場は地震雷火事親父だが、親父の権威失墜を踏まえて更に当世風に言えば、最後の4文字は「安倍官邸」となるだろうか。
 去る12月18日の10時30分、東京地裁709号法廷。時の宰相とそれにかしずく官邸官僚トップを巻き込んだ裁判に審判が下った。
 安倍総理に深く食い込み、全幅の信頼を得ていた“総理ベッタリ記者”こと山口敬之(のりゆき)・元TBSワシントン支局長(53)、そして彼に「レイプされた」と主張するジャーナリスト伊藤詩織さん(30)との間で係争中の損害賠償訴訟の判決が言い渡されたのだ。
現場の高級ホテル
 山口記者は、今年2月、詩織さんを相手取り、「名誉を毀損し、プライバシーを侵害した」として、1億3千万円の損害賠償を求めた。詩織さんは2017年9月、「支局長の立場に乗じ、就職斡旋をチラつかせ、レイプした」と、山口記者に1100万円の損害賠償を請求していたから、彼は「反訴」したことになる。
 12月18日に東京地裁が下した判決は、山口記者は詩織さんに対し、330万円の金員を支払えというもの。詩織さんの全面的な勝訴であるが、会見で山口記者は控訴の意向を示している。だから、2020年以降に両者は、東京高裁で更なるお上の裁きを待つことになる。
 その控訴審の帰趨を決するのが、ある陳述書の存在である。
 陳述書の作成者の氏名を明かすことはできないが、事件のあった東京・白金のシェラトン都ホテルに勤務し、事件当夜の15年4月3日、ドアマンとしてエントランスに立っていた人物である。
 陳述書の提出日は19年10月23日。準強姦発生から実に4年半の歳月が流れている。なぜ、これだけの時間を要したのだろうか。
 ドアマンは、その理由について、〈裁判所から何の連絡もないまま、もうすぐ(本件の民事裁判が)結審するというニュースを知り、このままでは私の見たことや私の調書の存在は表に出ることなく葬り去られてしまうと考え、9月末に伊藤詩織さんを支える会に連絡をし、ようやく伊藤さんの代理人に連絡が取れ〉たからだと綴っている。
 もっとも、裁判は10月7日に結審してしまっていたため、詩織さん側は弁論再開の手続きを求めたが、認められなかった。つまり、今回の裁判官の判断に、作成されたドアマンの陳述書は宙に浮き、1フレーズも考慮されていない。
 ではここで、事件当日から係争に至る経緯を駆け足で振り返っておこう。
 15年4月3日、TBSのワシントン支局長だった山口記者が一時帰国した折、ニューヨークで知り合い、TBSに働き口を求めていた詩織さんと会食した。山口記者のホームグラウンドである東京・恵比寿で2軒目までハシゴしたところから意識を失った彼女は、その後タクシーに乗せられた。タクシーはシェラトン都ホテルへ。山口記者の部屋に連れ込まれ、翌日未明、性行為の最中に目が覚めた。
 4月30日に警視庁高輪署が詩織さんからの刑事告訴状を受理。捜査を進めた結果、裁判所から準強姦(当時)容疑で逮捕状が発布された。6月8日、アメリカから日本に帰国するタイミングで山口記者を逮捕すべく署員らは成田空港でスタンバイした。しかし、その直前に逮捕は中止。捜査員は目の前を行く山口記者をただ見つめることしかできなかった。中止の命令は、当時の警視庁刑事部長で現・警察庁ナンバー3、官房長の中村格(いたる)氏によるもので、彼自身、「(逮捕は必要ないと)私が決裁した」と本誌(「週刊新潮」)の取材で認めている。
 中村氏は菅義偉官房長官の秘書官を長らく務め、その絶大な信頼を得てきた。ベッタリ記者逮捕の中止を命令する一方、安倍総理元秘書の子息による単なるゲームセンターでのケンカに捜査1課を投入し、相手を逮捕するという離れ業もやってのけたのは本誌既報(19年11月28日号)の通りだ。官邸絡みのトラブルシューター・守護神・番犬たる部長。その命を受け、捜査の仕切り直しを担った警視庁本部からの書類送検を受けた東京地検は、ほぼ1年後の16年7月に不起訴と判断。詩織さんは17年5月、検察審査会に審査申し立てを行なったものの、9月に「不起訴相当」の議決が出ている。

幼児の片言みたいに

 高輪署からドアマンに、「本件で話を聞きたい」とアプローチがあったのは、事件から少し経った頃だった。まだ逮捕状は握り潰されていないどころか、むろん出ていないし、中村部長も気付いていない。やってきたのは高輪署の強行犯係の刑事ら2人だった。社内の人間からその要請を聞かされたドアマンは最初、何のことだか思い当たるフシがなく、「記憶力があまり良い方とは言えず、思い出せる自信がない」と思ったという。
 捜査員はドアマンのところへやってくる前に、山口記者と詩織さんをホテルまで乗せてきたタクシー運転手から話を聞いていた。当の運転手は、「僕よりもホテルのドアマンさんの方が話を聞いているんじゃないですか」と告げたというのだ。
 そんなやりとりを聞きながら、ドアマンの頭に当日の光景が生々しく蘇ってきた。聞かれもしないのに山口記者の風采を話し出した彼に捜査員は虚を衝かれたことだろう。「記憶力があまり良い方とは言えない」彼がどうして「15年4月3日のこと」を詳細に覚えているのか。それは、「ドアマン生活の中でも忘れられない出来事だったから」だ。
 では、ドアマンの「私の見たこと」や「私の調書」について述べていこう。
 2人が乗ったタクシーがホテルの玄関前に滑り込んできた時、日本のドアマンなら誰もがそうするように、彼もまた後部座席の左側のドアの方へ出向いた。陳述書にはこうある。
〈その時に手前に座っていた男性と目が合い、怖い印象を受けました。そして、奥に座った女性に腕を引っ張るようにして降りるように促していた〉
 遠のく意識の中でも詩織さんは懸命に運転手へ「近くの駅まで」と言ったが、山口記者は「部屋を取ってある」と返し、タクシーは彼の指示に従ってここまでやってきたのだ。
〈女性の方は(中略)「そうじするの、そうじするの、私が汚しちゃったんだから、綺麗にするの」という様なことを言っていました。当初、何となく幼児の片言みたいに聞こえ、「何があったのかな」と思っていたら、車内の運転席の後ろの床に吐しゃ物がありました〉
 車内で戻してしまったのだ。それから、山口記者は詩織さんの腕を引っ張って、無理やり車外へ連れ出そうという動きを取る。
〈女性は左側のドアから降ろされる時、降りるのを拒むような素振りをしました。「綺麗にしなきゃ、綺麗にしなきゃ」とまだ言っていたので、座席にとどまって車内を掃除しようとしていたのか、あるいはそれを口実に逃げようとしているのか、と思いました。それを、男性が腕をつかんで「いいから」と言いました〉
 車寄せからホテルのエントランスまでの僅か10メートルほどの距離も詩織さんには遠すぎたようで、
〈足元がフラフラで、自分では歩けず、しっかりした意識の無い、へべれけの、完全に酩酊されている状態でした。「綺麗にしなきゃ、綺麗にしなきゃ」という様な言葉を言っていましたが、そのままホテル入口へ引っ張られ、「うわーん」と泣き声のような声を上げたのを覚えています〉

不本意に連れ込まれて

 むろん、ドアマンがこのことを刑事に話している際に、男女が何者であるか、刑事が何の捜査をしているのかは知る由もない。だから、本誌がこの件を記事にし、詩織さんが記者会見をする17年5月になって初めて、あれは〈この事件だったのか〉と気付き、ドアマンは会見を通して素面の詩織さんを初めて“目撃”することになる。
〈まるで別人でした。自分では歩けないから、男性が手を強引に引っ張ってホテルの玄関に入って行きました。私はそれを唖然として見送りました〉
 まさに我を失ったこの状態について、詩織さんは「デートレイプドラッグを山口記者に何らかの形で飲まされた可能性」とかねて主張し、山口記者はこれを全否定している。今となっては残念ながらこれを調べる術はないが、尋常ではない前後不覚ぶりだったことが陳述書を通じて浮き彫りになってくるのだ。
 正体を失った詩織さんとは対照的な山口記者の横柄な態度もドアマンには強く印象に残っている。
〈驚いたのが、男性がタクシーの運転手さんに一言の謝罪も無く、女性に対して言った「いいから」という言葉以外は無言で立ち去ったことでした。「え、何もしないで行ってしまうのか」と驚きあきれ、こういう場合、たいていは、運転手さんにクリーニング代のチップくらい渡すものなのに、運転手さんはかわいそうだな、今日はもう仕事にならないだろうな、と思ったのです〉
 世界に冠たるホテルチェーンの、経験豊かなドアマンの目を射たのは、山口記者の振る舞いのみならず、「吐しゃ物」にも及んでおり、
〈吐しゃ物はたいてい、周囲に広がっていくものなんです。ところが、その時の吐しゃ物は客席の足元に敷かれたフットマットの上に、こんもりと固形に近い形でありました。「へえ、珍しいな」と思い、せめて散らばらなくて運転手さんのためには良かったな、と思いました〉
 改めて、この日のことを詳細に記憶しているのは、
〈男性(山口記者)の運転手さんへの態度がひどいと憤りを感じたこと、女性の「綺麗にするの、綺麗にするの」というセリフを言って逃げようとする素振りをしていたこと、その声のトーンが何となく奇妙に感じられたこと、女性がその言葉を口実に相手の男性を拒否しているように見えたこと、さらに車外に出た後に女性が泣き声のような声をあげたことが、ものすごく印象的に残ったから〉
 だとし、
〈客観的に見て、これは女性が不本意に連れ込まれていると確信しました〉
 と答えた。それを受け、
〈捜査員は、「これだけはっきりした証言なら行けるな」と2人で話し、「じゃあ、次回は調書を取らして下さい」「ああ、わかりました」というやり取りをしました〉
 そして後日――。改めてやってきた捜査員の手で、ドアマンの供述調書は作成されたのである。
「これだけはっきりした証言」に基づいた調書のはずが、山口記者が逮捕されることはなかった。警視庁から東京地検へ本件が書類送検される際にはこの調書も含まれており、担当検事もこれを見ている。しかし、検察官自らドアマンから事情を聞いて、それを調書にした形跡は見当たらず、検察は不起訴と判断した。その後、詩織さんは検察審査会に審査を申し立てるのだが、これも「不起訴相当」の議決が下る。それは、これからも刑事裁判が開かれることはないとの宣告であり、検察が証拠とどう向き合ったのかを我々は知る術がなくなってしまった。
 ともすれば、ドアマンが、〈このままでは私の見たことや私の調書の存在は表に出ることなく〉と言うように、闇から闇へ葬られていた可能性が高いのだ。
(2)へつづく
「週刊新潮」2019年12月26日号 掲載