2020年5月4日月曜日

山梨・女性が感染判明後に高速バス、虚偽も…TV一斉報道、ネットに厳しい声多く

山梨・女性が感染判明後に高速バス、虚偽も…TV一斉報道、ネットに厳しい声多く

 東京都の20代女性が、味覚や嗅覚に異常を感じる中、山梨県の実家に帰省して友人らとバーベキューなどを行い、滞在中にPCR検査で陽性反応が出たが、判明後に高速バスで帰京していたことが明らかとなり、4日朝のテレビ各局のニュース番組が「陽性知りながらながら高速バスで帰京」「感染知りながら東京へ」とのタイトルで報じた。
 女性は4月26日ごろから症状があったが、29日に高速バスで帰省。30日に友人ら4人とバーベキューを行うなどしていた。
 1日にPCR検査を受け、県は実家待機と公共交通機関を使用しないよう要請していた。女性は当初、1日の検査後、結果が出る前に高速バスで帰京したと話していたが、通報があり、2日に感染が判明した後に高速バスに乗車していた虚偽報告も明らかになった。
 県は「ほかの人にうつしてはいけないという配慮を持っていただきたい」と求め、改めて帰省自粛も要請している。
 県やバス会社は、公表した乗車便を訂正するなど振り回され、3日には滞在中に会っていた男性の陽性も判明した。
 ネット上では女性の行動を批判する意見が多く、4日も「帰省の女性」が注目ワードの上位に。
 2日夜ごろから、女性に関する真偽不明の情報が飛び交い始めた。「特定班」によって、さらに情報が増え、関係があると指摘されたSNSのアカウントが非公開になったり閉鎖されるなどし、「確証はありません」としたまま流される情報もあり、荒れた状況が続いている。
 過去にはこうした騒ぎで無関係の人が巻き込まれ被害を受けた事例もあり、「いつか必ず人違いが起きる」と諭す意見も投稿されている。


【志村けんさん死去】実兄に聞いた近況と、2月に笑顔で語っていた「夢」






志村けんさん
 お笑い界のレジェンド・志村けんさんが3月29日、午後11時過ぎに新型コロナウイルスによる肺炎のため他界したことが明らかになった。
「3月17日に発症し、20日には重度の肺炎と診断され都内の病院に救急搬送されていました。容体ですが、“集中治療室に入っているが安定している”という話もあれば“意識混濁”“人工心肺で治療中”という話もあって情報が錯綜していましたが、予断を許さない病状ではありました」(スポーツ紙記者)
 感染者50万人、死者2万人を軽々超え、世界中で猛威をふるっている新型コロナウイルス。志村けんさんの感染が公表されたのが3月24日のことだった。
「その後、芸能界では志村さんの復帰を願う声が広がり、ネット上でもツイッターではハッシュタグ“#志村けん頑張れ”がトレンド入りするなど、応援の声が上がっていました。そんな矢先のまさかの悲報でした」(前出・スポーツ紙記者)

お酒はゆっくり、タバコは吸わず

 週刊女性は故人の生前、都内に住む志村の長兄・知之さんにも話を聞いていた。
「病名は私もテレビで見て知ったくらい。本人とも連絡がつかないし、事務所に電話して確認したけど話は報道と同じ。私や次兄が病院へ付き添ったっていうのはウソだね。次兄も、入ってくる情報は事務所とテレビだけだと思います」(知之さん)
『天才! 志村どうぶつ園』(日本テレビ系)などのレギュラー番組だけでなく、『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)といった特番や舞台もこなす売れっ子コメディアンは、俳優としても引っ張りだこ。4月からNHKの朝ドラ『エール』に出演し、12月公開予定の映画『キネマの神様』では初の主演を務めることも決まっていただけに、今後、変更を余儀なくされそうだ。
「肺炎になってからはタバコはやめていたんです。お酒も“だいぶ減らした”と言っていたし」(知之さん)
 かつて、'16年に肺炎にかかり入院し、昨年には下血して病院に救急搬送。今年1月にも胃のポリープ切除手術を受けたばかりも、精力的に仕事をこなす志村さんの身体を心配する声もあった。自覚もあったのか、知之さんも話すように、本人は以前よりも節制した生活を送っていたようだ。
 行きつけだという東京・麻布十番にあるガールズバーで女性たちに囲まれても、それは変わらなかったという。店の常連客が志村さんを最後に見かけたのは、手術から復帰した「2月の終わりごろ」。
「お酒は飲んでいたけれど、すごくゆっくり。タバコも吸っていなかったんですよ。お店の女の子たちもすごく気を遣っていて、志村さんが来ているときは絶対にタバコを吸わなかったくらいですからね」
 そこまで徹底した体調管理をしていたのには、こんな理由が。
「酒の席でめったに自慢話をしない志村さんが“7月に東京オリンピックの聖火ランナーやるんだよ。夢みたいだろ?”と、うれしそうにしゃべっていて。“ちゃんと走れるようにしておきたいじゃん?”と、ずいぶん楽しみにしていたのですが……」(同・常連客)
 72歳で亡くなった、元ドリフターズのリーダー・いかりや長介さんを追うように、70歳の若さで旅立ってしまった志村けんさん。お笑い界、芸能界はまた大きな宝を失ってしまった。

志村けん、TVを変えたあの企画の“生みの親”だった スタッフ説得「いずれ時代が来る」











志村けん
 タレントの志村けん(69)が5日放送のTBS「中居正広の金曜日のスマイルたちへSP」(金曜後8・57)に出演。今ではあらゆるテレビ番組で採用され、テレビを変えたとも言われる「視聴者ビデオコーナー」の“生みの親”であることが明かされた。

 「ドリフターズ」のメンバーとして出演し、最高視聴率50%を超えた土曜8時放送の「8時だよ!全員集合」が85年9月に終了。このお化け番組の同枠で86年1月からスタートしたのが「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」だった。

 なんとしても「全員集合」を超える番組を作らなければいけないという並々ならぬ覚悟で臨む中、放送開始まで3カ月を切ったころに「今まで誰もみたことのない、思い切った企画を…」として、思いついたのが視聴者からの投稿ビデオを取り上げるコーナーだった。

 ただ、当時、家庭用ビデオカメラの普及率は10%にも満たず、会議でも「まだ早いんじゃないの?」との声が上がるなどスタッフ全員から反対されたという。

 しかし、志村は「いずれ(動画の時代が)来る。みんな、写真じゃなくて結婚式とかを撮るようになる。ビデオコーナーをやろう」と説得。人生を懸けた同企画が「ごきげんテレビ」第1回から放送されると視聴率も上昇。最高で36%を記録するなど、支持を集めた。

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